牧師 高橋勝義 |
ヨセフが売られてしまったことを知らない長兄ルベンが、穴の所に戻ってくると、そこにヨセフの姿はなく、ルベンは自分の衣を引き裂き取り乱します。
そして兄弟たちは雄やぎを屠り、ヨセフの長服をその血に浸し、それを父のところに送り届けて、「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」と言ったのです。父ヤコブはヨセフが悪い獣に食い殺されたと思い込み、何日もその子のために嘆き悲しみました。みなが来て父を慰めますが、慰められるのを拒み「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい」と泣くのでした。(創世記37:29~35)
一方エジプトに連れて行かれたヨセフは、ファラオの廷臣、侍従長ポティファルに売られてしまいます。父の弟への偏愛が兄たちの心に嫉妬と憎しみを生み、さらに弟の傲慢が兄たちの悪意を増幅させて起きてしまった悲しい家族の事件です。
しかしこのような出来事は、決して珍しいことではありません。聖書が「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。(エレミヤ17:9)」と語っている通り、生まれながらの罪人である私たちの心は悪意に支配されてしまう危険を常に持っているのです。しかし、イエス・キリストは私たちの悪意の根源である罪を贖うために十字架でいのちを捨ててくださいました。
このお方を罪からの救い主と信じる者は、すべてが新しくされる歩みへと移されるのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)」