牧師 高橋勝義 |
ヤコブは約束の地カナンで妻ラケルがいのちと引きかえに生んだ末息子の名を「ベニヤミン(右手の子)」とつけました(創世記35:18)。それは、ここまで自分を導いてくださった全能の神への信頼と、その子の将来をこのお方に託す信仰からでした。そして彼は父イサクのもとに帰り着きます。父イサクの亡きあともヤコブたちは、兄エサウの一族と一緒に住んでいました。しかし彼らが一緒に住むには所有する物が多すぎ、その地は彼らを支えることが出来なくなり、兄エサウはカナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れ、セイルの山地に移り住んだのです(創世記36:6~8)。その後、エサウの子孫はエドム人と呼ばれるようになりました。ここからエサウとヤコブのふたごの兄弟は、全く別の道を歩み始めたのです。
二人の歩みを大きく変える大事件の始まり、それは長子である兄エサウが野から帰って来たある日のことでした。空腹に耐えかねたエサウは大切な長子の権利を弟ヤコブが煮ていたレンズ豆の煮物とパンと交換してしまったのです。この出来事を聖書は「エサウは長子の権利を侮った(創世記25:34)」と記しています。事実、兄エサウは神を畏れず、神に聞き従う歩みを軽んじ、この世のものを追い求めていたのです。神は二人が生まれるとき「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)と語られましたが、それが現実となりました。
私たちの前には、神のみことばを信じて生きるのか、この世のものを頼りに生きるのか、の二つの道があります。イエスさまは「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです(ルカ11:28)」と語られましたが、ヤコブは神に聞き従う歩みを選んだのです。