牧師 高橋勝義 |
ヤコブは神の命令に従いベテルで祭壇を築き、神を礼拝した後、エフラテに向かいますが、その途中、妻ラケルが難産の末に息を引き取り、エフラテ、すなわちベツレヘムへの道に葬ります(創世記35:19)。母ラケルは、その子をベン・オニ(私の苦しみの子)と呼びましたが、父ヤコブは「ベニヤミン(右手の子)」と名づけました(創世記35:18)。
最愛の妻の死は、辛く悲しい出来事でしたが、ヤコブは約束の地で生まれた息子の名が将来にわたって「苦悩と絶望」をイメージさせるのではなく、未来への希望を託して「ベニヤミン」と名づけたのです。伯父ラバンに仕えた20年は、ラケルに出会い、ラケルを愛した20年でもありましたが、決して自分の願い通りではありませんでした。しかし父イサクから受けた祝福(創世記28:1~4)と、神がベテルで現れ約束してくださった通りに(創世記28:13~15)、神が自分を祝福して多くの子どもと財産を与えてくださった事実に、神の約束はどんな時も真実であることを実感していました。ですから、末息子の名前を「ベニヤミン」としたのはヤコブの全能の神に対する信頼の表れであり、真っ直ぐな信仰告白なのです。
「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ10:11)
そこからイスラエルはさらに旅を続け、ヘブロンのマムレにいる父イサクのところに帰り着きます。イサクは年老いて満ち足り、息絶えて死に、自分の民に加えられ、息子のエサウとヤコブが父を葬ったのです。イサクの生涯は百八十年でした(創世記35:29)。
アブラハムやイサクに記されている「満ち足りた人生」とは、まさに全能の神に信頼し、従い続けて歩んだ者の人生なのです。