牧師 高橋勝義![]() |
兄に対する恐れから神の前に一人出て夜明けまで祈りの格闘をしたヤコブでしたが、執拗に神に祝福を願って食い下がります。ついに神は、彼の強い自我を打つためにももの関節を打ちます。そしてヤコブ(押しのける)に「イスラエル」の名を与えます。
祈り終えたヤコブは、足を引きずっていましたが、神は最善を成してくださると信じ、このお方にすべてをゆだねる信仰へと導かれていました。
当初、ヤコブは陣営を二つに分け「自分の先に行く贈り物で兄をなだめ、その後で兄と顔を合わせよう。もしかすると、私を受け入れてくれるかもしれない」と考え、自分は最後尾にいる計画を立てていました。しかし、神に自我を砕かれ、自分の力で生きる者から神に信頼して歩む者、へりくだった者に変えられ、自ら家族の先頭に立ち、何と、兄エサウに近づくまで七回も地にひれ伏しながら歩んだのです(創世記33:3)。
エサウは走って来て、弟を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣きました。20年という歳月によるエサウの心の変化もさることながら、足を引きずりながら敬意と真心をもって何度も地にひれ伏すヤコブの姿に、兄は迎えに走ったのでしょう。すべては神のあわれみです。そして兄へのなだめの贈り物は、兄の好意に感謝する贈り物となりました。こうしてヤコブは、神に信頼し従う歩みの幸いと神の恵みの深さを知ったのです。
エサウは、その日、セイルに帰りました。そしてヤコブは、ここから新たな一歩を踏み出したのです。
「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(Ⅰペテロ5:6)