牧師コラム 『神のいつくしみと恵み』 2021年1月24日

牧師 高橋勝義

聖書は夫ヤコブを巡るレアとラケル姉妹の確執、家族の問題を赤裸々に記しています。

四人の男子を産んだ姉に嫉妬する妹ラケルはヤコブに「私に子どもを下さい。でなけ れば、私は死にます。(創世記30:2)」と訴えますが、ヤコブはラケルの気持ちを受け止めるどころか、怒って「胎の実をおまえに宿らせないのは神なのだ」と言います。確かに子どもは神の賜物です(詩127:3)。
そしてラケルは自分の女奴隷ビルハによって子を得ようとし、ビルハは、二人の男子「ダン」「ナフタリ」を産みます。競うように、姉レアも自分の女奴隷ジルパをヤコブに妻として与え、二人の男子「ガド」「アシェル」が産まれます。さらに神は姉の願いを聞かれ、レアに二人の男子「イッサカル」「ゼブルン」が産まれます。
しかし神は妹ラケルを忘れていたわけではありません。神はラケルに心を留められ、彼女は男の子を生みます。その子を「ヨセフ」と名付け、さらに弟ベニヤミンも産まれます。

このようにレアとラケルは神を信じていながらも嫉妬心に振り回され、ヤコブの家族は混乱していました。しかし神はその混乱の中にもおられ、神のあわれみと祝福はヤコブの家族に注がれ続けました。やがてヨセフの子「マナセ」と「エフライム」がヤコブの子となり、ここにイスラエルの十二部族が誕生します。そして神がアブラハムに語られた「わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とする。(創世記12:1,2)」との約束が成就していくのです。

私たちの日常も問題だらけですが、神はそのただ中に共におられるお方です。
「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6)