牧師コラム 『私は主をほめたたえます』 2021年1月17日

牧師 高橋勝義

伯父ラバンのもとに身を寄せていたヤコブは、「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもないだろう。どういう報酬が欲しいのか、言ってもらいたい。」と告げられ「あなたの下の娘ラケルのために、七年間あなたにお仕えします」と答えます。そして愛するラケルのために夢中で働いたヤコブでしたが、七年後の婚礼で与えられた花嫁は姉のレアでした。「この地では姉よりも先に妹を嫁がせることはしないのだ、ただ一週間の婚礼を終えたら妹ラケルもあげよう、しかし、さらに七年間私に仕えなければならない」との伯父ラバンの提案を受け入れたヤコブは、こうして姉と妹を同時に妻に迎えたのです。

主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれましたが、ラケルは不妊の女でした(創世記29:31)。レアは夫が自分を愛することを願い、期待していましたが、ルベン・シメオン・レビの三人の男子を産んでも、ヤコブの心は相変わらずラケルに向いていました。
しかし、四人目の男子を産んだとき、「今度は、私は主をほめたたえます」と言って、その子を“ユダ(ほめたたえる)”と名づけるのです。(創世記29:35) レアはここに至って、ようやく子どもが与えられるのは、神の恵みであることに気づかされ、夫ではなく主を見上げ、そのお方の名をほめたたえたのです。

このレアの姿は私たちの姿でもあります。私たちは、自分の願う通りを相手に期待します。しかし、レアは自分の内にある惨めな思いと嫉妬心に気づき、そんな自分であるにもかかわらず神の深いあわれみと真実な愛が注がれていることを知ったのです。

「主は情け深くあわれみ深く怒るのに遅く恵みに富んでおられます。(詩篇145:8)」