牧師コラム 『私はいつまでも主の家に住まいます』 2020年11月22日

牧師 高橋勝義

私たちはこの半年、信仰の父アブラハムの歩みを通して、まことの主なる神様について学んできました。聖書は、アブラハムの175年の生涯を「アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。」(創世記25:8)と記しています。
しかし聖書の語る「幸せな人生」とは、決して「問題のない平穏無事な日々を過ごす」という意味ではありません。

事実、アブラハムの人生も戦い、失敗、試練、葛藤、の連続でした。
神はご自分の召しに立ち上がり信仰のうぶ声をあげたアブラハムを、赤ん坊を育てるようにいつくしみ、愛し、育てられました。信仰の道をよちよちと歩き始めた彼の失敗を叱るどころか、かえって祝福を豊かに注がれたのです。それは「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。(創世記12:2)」と神ご自身が約束された契約のゆえでもありました。子どもがなかなか与えられない葛藤の日々にあっても「あなたから生まれ出て来る者があなたの後を継ぐ」との約束をくださり、励まし続けてくださいました。

こうして育まれたアブラハムの神への信仰は、待望の子イサクを全焼のいけにえとしてささげるように命じられた最大の試練の時に、疑うことなく、神を信頼し、神に期待し従うという姿で表されたのです。

私たちもまた、キリストによる罪の贖いを信じることにより、神の民、アブラハムの子孫とされました。
「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6)