牧師コラム 『あえて、わが主に申し上げます』 2020年7月19日

 牧師 高橋勝義

主は、「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか」(創世記18:17)と考えられ、邪悪に満ちたソドムとゴモラの町を滅ぼそうとしている計画を彼に話しました。それを聞いたアブラハムは、臆することなく「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか」(創世記18:23)と神の公平なさばきに訴えます。それはソドムに甥のロトの家族がいたからです。

アブラハムは、そこにいる50人の正しい者のために町を滅ぼされるのですか、と神に訴えます。さらに、45人、40人、30人、20人と続けます。それでもなお不安を感じた彼は、「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」と訴えました。

すると主は、「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」(創世記18:32)と約束されたのです。

聖書の神は遠くから私たちを眺めておられる厳しいお方ではなく、常に私たちのかたわらにいて下さるお方です。アブラハムに対する神の姿は、そのことを示しています。
ですから神は、ご自分の計画を打ち明けたのです。またアブラハムが、愛する者のためにどのような行動をするのかを見ておられたのです。アブラハムは、愛する者のために、神の怒りを恐れず、何度も、熱心に、神に執り成しの祈りをしたのです。

この姿はキリストの私たちに対する愛の姿そのものです。
「人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました」(ピリピ2:7,8)