牧師 高橋勝義 |
神は光であり、闇が全くありません。その神が、人としてこの世に遣わした御子イエス・キリストを、私たちのすべての罪の身代わりに、十字架上で処罰されました。そして、このイエス・キリストを救い主と信じ、罪をきよめていただいた私たちは、光の神と共に歩む者、交わりをする者(親しく会話する者)とされるのです。
それゆえ、私たちはイエス様の橋渡しで、全能の神に向かってなんでも話すことができます。お祈りは神との会話であり、神の思いは、聖書に記されています。
死に値する罪が赦され、永遠のいのちに移されて、神のこども、光の子になった私たちですが、怒り、ねたみ、競争心、さばきなどの罪を犯してしまいます。
この時、私たちは、なんとかして自分の力で解決しようと頑張ってしまいやすいのです。もし、神と交わりを持ち、光の中を歩んでいるなら、私たちには闇がないはずです。闇がないというのは、偽りがないということなので、弱さも、惨めさも、愚かさも、ありのままの自分で良いのです。むしろ、犯してしまった罪を正直に神に申し上げ、認めることが大切なのです。立派な人になろうとするのではなく、正直な者になれば良いのです。なぜなら、神はそれを求め、待っておられるからです。
『もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。(Ⅰヨハネ1:8~10) 』