牧師 高橋勝義 |
総督ピラトは、イエス様が無実であるにもかかわらず、民衆の声に負け、また、自分の立場を守るために、「十字架刑」にすることを承諾しました。
十字架を背負わされ、刑場に向かったイエス様でしたが、ムチ打たれ、血だらけのからだにもはやその力はなく、代わりにそこに居合わせたクレネ人シモンが十字架を背負い「どくろ」と呼ばれている場所に向かいました。
民の指導者たちのねたみと嫉妬、また期待したメシヤではないことへの民衆の失望と怒りが、無実のイエス様を残酷でむごい「十字架刑」につけてしまいました。
薄れゆく意識の中で、イエス様は自分を十字架につけた民の指導者たちや民衆への恨みごとではなく『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34) 』と天の父にとりなしをされたのです。
また、イエス様と共に、二人の犯罪人も十字架につけられました。
ひとりはイエス様を罵り、もうひとりは自分の犯した罪を告白し、悔い改めました。その人にイエス様は「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)と言われました。
聖書は、「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネの手紙1:9)と約束しています。自分の罪を認め、告白する者には、すべての罪を赦して下さる、これが、神の約束であり、神の愛なのです。
あなたも、あなたを愛する神に、正直に向きあってみてはいかがでしょうか?