牧師コラム 『あなたは神の子か』 2019年6月23日

牧師 高橋勝義

イスラエルの宗教指導者たちにとって、メシヤ(救い主)は、神の選びの民である自分達を、他国の支配から解放してくれる、力強い栄光に輝くお方であるはずでした。
しかし、イエス様の言動は、先祖の教えの誤りを指摘するものでした。それ故、彼らには神を冒瀆している者と映ったのです。そして策を練り、イエス様を捕らえることに成功しました。しかし、十字架刑にするだけの証拠がありません。

そこで、彼らは、イエス様に直接こう問いただすのです。
『「おまえがキリストなら、そうだと言え。」しかしイエスは言われた。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょう。わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。だが今から後、人の子は力ある神の右の座に着きます。」彼らはみな言った。「では、おまえは神の子なのか。」イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。」そこで彼らは「どうして、これ以上証言が必要だろうか。私たち自身が彼の口から聞いたのだ」と言った。(ルカ:67~71)』

彼らの質問の意図は、イエス様の口から神を冒瀆することばを引き出すためでした。
しかし、「あなたは神の子なのか」という問いは、イエス様に出会うすべての人が持つ問いかけでもあります。
聖書は、神のひとり子が人となってこの世に来られたと記しています。
それはイエス様が、私たちの苦しみや悲しみ、痛みを知っておられ、人が神から離れ、自分中心の歩みをすることの悲惨さも目にされたことを意味します。
神の御子がこの世に来られたということは、このお方が『どこかで私たちを見ておられる神』ではなく、私たちのそばに共におられる神であることを現しているのです。