牧師 高橋勝義 |
イエス様は弟子たちを連れて、いつものように祈るためにオリーブ山に行かれました。しかし、この時の祈りはいつもとは違っていました。
イエス様の額からは、汗が血のしずくとなって地に落ちる程に、「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。(ルカ22:42)」と苦しみ悶えながら祈られたのです。「この杯」とは、十字架刑のことです。
それは当時のローマ帝国の刑の中で、最も残忍でむごい刑罰でした。
囚人は両手首と両足首を釘で十字架に打ち付けられ、長時間放置され、やがて呼吸困難に陥り、死に至るのです。
では、なぜ、罪なきお方イエス様が十字架刑を受けなければならなかったのか。それは、父なる神のみこころだったからです。
私たちが神から離れ、神を捨て、自分中心に生きてきた「罪」をイエス様が身代わりに負い、私たちを滅びから、永遠のいのちへと移してくださるためでした。
イエス様は「ご自身が罪の身代わりとなって十字架で死ぬ」という父なる神のみこころに対して、苦しみ悶えて祈られました。
そして、ついに十字架を前にして、ご自分の正直なお気持ちを神に明け渡され、父なる神のみこころに従おうと、そのすべてをゆだねられたのです。
血の汗を流しながら祈られたイエス様の十字架は、あなたを滅びから救おうとされるあなたへの愛の現れです。
イエス様はあなたを愛し、みもとに招いておられます。