牧師コラム 『神の民』 2019年4月7日

牧師 高橋勝義

「策士策に溺れる」とは、策略のうまい人は、策略に頼りすぎて、物事の対局を見失い、かえって失敗するという意味です。

当時、強大なローマ帝国に支配されていたイスラエル国の指導者である祭司長、律法学者たちは、ロ-マ総督にイエス様を捕らえさせようと罠を仕掛けます。
イエス様に対し「私たちがカエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか(ルカ20:22)」と質問します。質問と言うより策略です。
「カエサルに税金を納めなさい」と答えれば、神の教えに反している、祖国愛がないと言って非難し、逆に、「カエサルに税金を納めなくてもいい」と答えれば、ローマ帝国に対し謀反を企てていると訴えられます。
しかし、イエス様は彼らの策略を見抜いて、「デナリ銀貨にはだれの肖像と銘があるのか」と聞き返します。「カエサルです」と答えた彼らに「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と返答、彼らは黙るしかありませんでした。

ところで、イエス様を自分の罪からの救い主と信じるすべての人は、神の民とされます。ですから、この世の国籍と、天国の国籍の二つを持つことになります。
国籍を持つということは、国が責任をもって安全を守ってくれる、と同時に国民としての責任を果す義務が要求されます。
では、神の民の責任を果たすとは、どのように歩むことなのでしょうか?
「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい(ローマ12:11)」
この世の価値観に流されず、神様を第一にし、御言葉に従うのが神の民です。