牧師 高橋勝義 |
「しんがり」は、軍隊にはとても重要な部隊です。なぜなら、退却する軍隊の最後尾で、敵の追撃を阻止するからです。その任務には、捨て石になる覚悟が必要です。
イエス様は、人々にたとえを話されました(ルカ20:9~16)。
ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸します。収穫の時になり収穫の一部を納めさせるために、しもべたちを何回も遣わしたのですが、農夫たちは彼らを打ちたたき、何も持たせないで帰らせたのです。最後に、息子なら、きっと敬ってくれると思い、大切な息子を送ったのですが、殺されてしまった、というのです。
農夫たちとはイスラエルの指導者たち、愛する息子とは、イエス様のことです。
イスラエル民族は、神の国を待ち望む人々の模範となるために神様に選ばれた民族でしたが、その使命を逸脱し、救い主イエス・キリストを十字架刑によって殺してしまいました。では、イエス様の死は無駄死にだったのでしょうか?
決して、そんなことはありません。それどころか、希望を与えるものなのです。
それは指導者たちが無用のものとして「捨てた石」であるイエス・キリストの十字架は、私たちのすべての罪の身代わりであったこと、さらに、三日後によみがえられた復活の事実は、滅びからいのちに移される希望の「要の石」であるからです。
『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった(詩篇118篇23節)』
扇の骨を止める要のように、復活のイエス様と共に歩む人生は、人生を揺り動かすどんな出来事からも、あなたを守る「要」になります。あなたの人生に、イエス・キリストを「要」として迎え入れ、新しい、希望の歩みを始めませんか?