牧師コラム 『権 威』 2019年3月17日

 牧師 高橋勝義

ノーベル賞は、1901年から始まった世界的な「権威」ある賞です。
ですから、受賞した人の発言や書物は、注目され、大きな影響力を持ちます
イスラエルでは神について教える時、祭司長、律法学者、長老たちは、先祖たちの教えによって、それを絶対的な権威あるものとして、人々に教えていました。
ところが、人々は、イエス様が神について語る教えに驚きました。
なぜなら、イエス様は「律法学者たちのようにではなく、御自身が権威ある者として教えたからです。(マルコ1:22)」
民の指導者たちはイエス様に、「何の権威によって、これらのことをしているのか、あなたにその権威を授けたのはだれなのか、教えてくれませんか」と質問しました。
イエス様も彼らに「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか」と質問しました。それに答えたなら自分も答えるというのです。
彼らは、互いに論じ合いますが、ついには人々の反応を恐れて「どこから来たのか知りません」と答えました。
イエス様も「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません」と答えました。(ルカ20:1~8)
イエス様は神のお姿を捨てて、人となってこの世に来られたまことの神ですから、「先祖の教え」という借りものに依存する必要は全くなかったのです。
さらに、神の権威によって人を支配するのではなく、友(私たち)のために十字架でご自分のいのちを捨てる、大きな愛を持っておられる権威者なのです(ヨハネ15:13)。