牧師 高橋勝義 |
「私に何をして欲しいのか」と尋ねる人がいたとしたら、どうしますか?
相手にもよるのでしょうが、自由に何でも願い事を言えるでしょうか…。
聖書には、イエス様からこの質問を受けた盲人の記事が記されています。
この盲目の人は、道端に座り、物乞いをしていたのですが、周りが騒がしいので、「これはいったい何事か」と尋ねました。そして、ナザレ人イエスがお通りになると知ると、大声で「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫び続けました。そんな彼に、イエス様が「わたしに何をしてほしいのですか」と尋ねたのです。彼は、即座に「主よ、目が見えるようにしてください」と答え、イエス様は「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」と言われたのです。すると、すぐに目が見えるようになり、彼は神をあがめながらイエスについて行ったのです。
彼の姿を見たイエス様には、その願いは察しがつきます。それなのに、なぜ、あえて尋ねたのか…。それは、彼の本心を引き出し、確認させるためでした。
人は、質問する相手の腹の中を探ります。警戒しながら色々考えますから、初めから素直にはなれません。しかし、これは痛い目に遭わないための処世術でもあります。
盲目の彼は、自分の置かれている現実を自覚し、そのうえで、イエス様なら必ず自分を救って下さると信じて、願いをストレートに訴えたのです。
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる(詩篇34:18)」と聖書に約束されている通りです。
あなたも、心の中にある色々な思いをストレートに、イエス様にぶつけてみませんか?