牧師 高橋勝義 |
「喜怒哀楽」と言う言葉があるように、人は、様々な出来事に会うと、喜び・怒り・悲しみ・楽しみの四つの感情が湧き出てきます。
イエス・キリストは、『あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。(ルカの福音書15章7節)』と語りました。
それと同じようにとは、「羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたので、その人は九十九匹を野に残し、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩き、見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、人々を呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。」というたとえ話のことです。
いなくなった一匹の羊とは、私たちのことです。
では、なぜ、いなくなったのか?
それは、私たちを造られた神のところから出て行ってしまったからです。
まことの神は、いなくなった一匹の羊を見つけ出すまで、捜し続けて下さるお方なのですが、私たちは「まことの神の声」を聞こうとしないのです。
時満ちて、神は私たちに対するご自身の愛を知らせるために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わし、神に従わない私たちの罪を代わりに負わせ、十字架の上で処罰したのです。
十字架を仰ぎ見て、自分の罪のために、イエス・キリストが死んで下さったことを認め、神に立ち返る(悔い改める)と、天では大きな喜びが沸き上がるのです。
それは、まことの神のもとに戻って来た喜びの大歓声です。
あなたは、かけがえのない存在として神に愛されているのです。