牧師 高橋勝義 |
警告とは、「よくない事態が起こりそうなので気を付けるよう、告げ知らせること」です。災害ならば、誰でもこの警告に従いますが、個人的なことになると、普段の信頼関係が築かれていなければ、余計なお世話としか受け取れないでしょう。
イエス・キリストは、イスラエル人に『エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。(ルカの福音書13章34節)』と語りました。
その昔、神はエジプトで奴隷であったイスラエル人を救い出し、アブラハムと約束を交わした「乳と蜜の流れる地」へと導かれました。しかし、彼らは自分たちを救い出したまことの神を忘れ、近隣の強国やそこで祭られている神々に頼ったのです。
にもかかわらず、忍耐の神は、『背信の子らよ、立ち返れ。わたしがあなたがたの背信を癒やそう。(エレミヤ3:22)』と語り続けられたのです。
これは同時に、今を生きる私たちへの「愛と希望の警告」でもあるのです。
なぜなら、私たちは、まことの神を無視し、自分勝手な歩みをしている背信の子だからです。
まことの神は、ご自身のもとに私たちを再び集めるために、イエス・キリストをこの世に遣わし、私たちのすべての罪を彼に負わせ、十字架の上で処罰されたのです。
キリストの十字架には、神の愛と希望が溢れているのです。
あなたを愛しておられる神の警告に耳を傾け、向きを変えてみませんか?