牧師コラム 『神に対して富まない者』 2018年7月8日

 牧師 高橋勝義

 

 

 群集の中のひとりが「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」とイエス・キリストにお願いしました。すると、主は「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではない」(ルカ12:15)と語り、それを人々に教えるために、一つのたとえを話されました。
 ある金持ちの畑が大豊作となり、その作物を入れる場所が足りなくなりました。そこで、倉を壊し、もっと大きいのを建て、自分の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分も一杯物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」(ルカ12:1619)
 しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったい誰のものになるのか。』自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:20,21)

 神に対して富まない者とは、まことの神に背を向けて離れ、神の教えに聞き従わず、自分のことしか考えないで歩んでいる人のことです。
 つまり、人生の目的をどこに置いているのかが、問われているのです。
 ですから、イエス・キリストは『人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。』(マタイ16:26)と私たちに問いかけています。
 イエス・キリストは、私たちに「永遠のいのち」を得させるためにこの世に来られました。
 あなたの人生の目的は、富ですか、それとも永遠のいのちですか…。