牧師 高橋勝義 |
弟子たちが神の国を宣べ伝え、病をいやしたと聞いた人々は、イエスのもとに集まって来ました。熱心にイエスの話しを聞くうちに、いつのまにか日は暮れ始め、弟子たちは群集を解散させて、それぞれで宿をとり食事を取らせるように主にお願いしました。
ところが、イエスは弟子たちに「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」と言われました。しかし、彼らは「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか。(ルカ9:13)」と答えたのです。
そう答えるのには、訳がありました。
そこはへんぴなところであり、男だけでもおおよそ5千人もいたからです。どう考えても群集に何か食べ物を用意することは出来ません。
これを聞いたイエスは、人々を五十人ぐらいずつ組にしてすわらせるように命じます。さらに、全員が座ったのを確認すると、五つのパンと二匹の魚を手に取り天を見上げ、祝福してパンを裂き、群集に配るように命じました。
人々はみな食べて満腹し、なおかつ余ったパン切れは十二のカゴいっぱいでした。
弟子たちは、神の国の福音を宣べ伝えるためにつかわされた時、イエスから「力と権威」を授けられたことを、この時すっかり忘れていたのです。
弟子たちに「力と権威」を授けることのできたイエス・キリストにとって「五つのパンと二匹の魚のほかには何もない」は、神の祝福の始まりなのです。
私たちの日常にも、「~しかない」と思うことは、度々あります。
しかし、イエス・キリストに信頼して歩むならば、「~しかない」のではなく「~がある」に変わるのです。
それはイエス・キリストが窮地を祝福に変えて下さる、力あるまことの神だからです。