牧師 高橋勝義 |
人々から罪深い女と言われていたひとりの女が、パリサイ人シモンの食卓に着いているイエス・キリストの所に行き、泣きながら、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その御足に口づけして、高価な香油を塗りました。
これを見ていたシモンは、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから」と心ひそかに思っていました。イエス・キリストは、彼の思いを察し、たとえを話されます。
そのたとえとは、「金貸しから五百デナリと五十デナリ借りている人がいました。金貸しは、彼らをかわいそうに思いふたりとも赦してやった。」という話です。
一デナリは、当時の一日分の賃金に相当しますから、かなりの金額になります。
イエス・キリストは、シモンに「ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるか」と尋ねます。すぐに彼は「よけいに赦してもらったほうだと思います」と答えると、イエス・キリストは、「あなたの判断は当たっています」と言われました。
シモンは、イエス・キリストを客として招きながら、実は、足を洗う水を用意せず、挨拶もしなかったのです。イエス・キリストは、この女の行為を、わたしをよけい愛したので『この女の多くの罪は赦されている』と宣言したのです。
さらに、イエス・キリストは、罪深い女に『あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。(ルカ7:50)』と優しく語りました。
罪深い女は、イエス・キリストならば、自分を救って下さると信じたので、高価な香油を惜しげもなく注ぐという大胆な行動へと導かれたのです。