牧師コラム 『つまずきの石』 2017年8月27日

 牧師 高橋勝義

 

 イエス・キリストは、『だれでもわたしにつまずかない者は幸いです(ルカ7:23)』と語りました。このつまずきとは、何でしょうか?
私たちの人生には、受験・就職・結婚・別れなど様々な転機が訪れ、どれも避けて通れません。これらは人生の節目なのですが、そこでつまずいてしまうこともあります。
 イエス・キリストは当時、人々の期待を一身に集めていました。
しかし、十字架の上で死んでしまったのです。すべてを捨ててイエス・キリストに従っていた弟子たちの落胆は、計り知れません。大きなつまずきを覚えたことでしょう。

 イエス・キリストがこの世に来られたのは、『多くの人のための、罪の贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです(マルコ10:45)』と記されているとおりです。
 十字架は、私たちを罪から解放し、私たちを愛してやまない神と一緒に人生を歩む道を備えるためのものです。ですから、イエス・キリストは、十字架で死ぬためにこの世に来られたのです。イエス・キリストがこの世に来られた目的と当時の人々の期待とには、大きなずれがあったので、人々はイエス・キリストにつまずいたのです。
 さらに驚くべきことにその三日後、イエス・キリストは、よみがえりました。
 死んで墓に葬られた方がよみがえられた、という知らせは、当時の人々にも、今を生きる私たちにとっても、つまずきとなります。
 しかし、このキリストのよみがえりこそが、罪からの解放を与える希望なのです。
 弟子のパウロは、『十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です(Ⅰコリント1:18)』と語っています。
 つまずきの石こそが、私たちに救いと神の力を与えるのです。