牧師コラム 『泣かなくてもよい』 2017年8月20日

牧師 高橋勝義

 あるやもめのひとり息子が死んで、かつぎ出されたところに出会ったイエス・キリストは、その母親を見てかわいそうに思い、『泣かなくてもよい』と言い、亡くなった息子に『青年よ。あなたに言う、起きなさい』と言われました。すると、その死人が起き上り、ものを言い始めたので、イエス・キリストは、彼を母親に返されたのです(ルカ7:1215)
 この時の状況を考えるならば、『泣かなくてもよい』の言葉は、無神経な言葉に聞こえますが、実は、イエス・キリストの『深いあわれみ』から出た言葉なのです。
 事実、イエス・キリストは、やもめの母親に、未来に繋がる希望を与えたのです。
 このやもめの母親に限らず、「羊飼いのいない羊」のようである私たちをイエス・キリストは深くあわれんでおられるのです。まことの神から離れて歩んでいる私たちには、罪によって死が必ずやって来ます(ローマ6:23)。その私たちを未来に繋がる希望へと導こうとされているのです。その希望とは、神の下さる賜物(プレゼント)であるイエス・キリストを信じることによって与えられる永遠のいのちなのです(ローマ6:23)
 この神のプレゼントは、神の愛と深いあわれみから出たものです。
 私たちに希望を与えて下さるお方、すなわち、イエス・キリストは、どんな時でも、どんな所でも、あなたと共に歩んでくださるお方です。
 そのお方が、あなたが悩み苦しんでいる時、辛く悲しい時、あなたのかたわらにいて、『泣かなくてもよい』と語っておられるのです。弟子のペテロは、『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、決して失望させられることがない。』(Ⅰペテロ2:6)」と書き記しています。
 この御言葉の約束が、あなたの未来に希望と力を与えるのです。