牧師 高橋勝義 |
「あの人はとても立派な人だからあの人を見習いなさい」と親は、子どもに教えます。
辞書を開くと、立派な人について色々と解説してありますが、その中に「欠点や不足がない」というのがありました。果たして、このような人は、本当にいるのでしょうか。
イエス・キリストは、ローマ軍の百人隊長の姿勢に『あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません(ルカ7:9)』と語りました。
〔りっぱな信仰〕とは、何でしょうか。
聖書は、『ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(ヤコブ1:6)』と語っています。そうは言っても、私たちは、心のどこかで疑い、願った先から「もしも…」を考えながら行動してしまうものです。
〔りっぱな信仰〕とは、第一に、少しも疑わないことです。
では、誰に対して、少しも疑わないのか。それはイエス・キリストです。
イエス・キリストを信じ、信頼して歩む私たちの信仰の姿勢が問われているのです。
第二に、信じて願うことです。イエス・キリストは、『あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです(マタイ6:8)』と語り、神はあなたが願う前に、あなたに必要なものを御存知であるお方であることを私たちに教えているのです。
だから、安心して信じ願いなさいと勧めているのです。
イエス・キリストは、ご自身に対する揺るがない信頼で願った百人隊長の願い通りに、部下の病気をいやされました。欠点や不足がない人が、りっぱな信仰なのではなく、《少しも疑わず信じて願う》ことが、りっぱな信仰なのです。
イエス・キリストは、その信仰に答えて下さるお方です。