牧師コラム 『あら探しからの解放』 2017年7月16日

牧師 高橋勝義

  イエス・キリストは、『さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。』(ルカ6:37)と語りました。
この世の「さばく」とは、混乱したものを整理すること・道理にかなっているかどうかを明らかにすることです。
 
しかし、イエス様が『さばいてはいけません』と語られたことの意味は、「人のあら探しをしてはいけない」ということです。私たちが人をさばくのは、自分の価値観や基準で「人のあら探し」をする時です。
 
でも、ブーメランが、投げた人の所に必ず戻ってくるように、あら探しをして人を裁くと、その代償は必ず自分に戻ってきます。やられたらやり返す社会の中に生きている私たちの人間関係は、ますます悪化してしまいます。
 
イエス・キリストは、私たちのこの悪い習慣()に対して、真正面からそれを断ち切るように命じます。()を断ち切るために、『これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。』(マタイ26:28)と語りました。
 『罪を赦すために多くの人のために流される』とは、まことの神を神としない、人が生まれながら持っている【罪】のために、イエス・キリストが身代わりとなって十字架で死なれたことです。
 それは、【罪】を赦す神の唯一の方法でした。
 
ですから、イエス・キリストの十字架は、あなたへの《愛と赦し》のしるしなのです。人は、このメッセージを信じ受け取る時、神の愛と赦しを知るのです。
 
神の愛は、えこひいきがなく、ありのままのあなたを受け入れて下さいます。
 
この神の愛の力が、「人のあら探し」してしまうあなたを解放し、人を赦す者へと変えるのです。