栗原 延元 牧師 |
インドネシアのバツーという町に「グレジャ・ヂャゴ-鶏の教会-」があります。
キリスト教会堂の尖塔に鶏の形をした避雷針があるからです。
これは、又「イエス・キリストの到来に対して常に注意深く目覚めている象徴であり、
悔い改めた罪人を象徴するものだともいわれています」(奥村修武)
今日、学びます、マルコの福音書には、イエスの弟子ペテロが本来ならば
隠して置きたい、失敗談が書かれています。
つい数時間前には、イエス様のためなら、たとえ火の中、水の中であろうと
従って行きます。
このいのちさえ捨てる覚悟が出来ていますと、大見栄を切ったペテロですが、
イエスの裁判が開かれている大祭司の中庭で、役人たちといっしょにすわって
火にあたっている間、大祭司の女中のひとりに「あなたは、イエスの仲間ね」と言われ、
「おれは、そんな者(イエス)を知らない」と三度も、イエスを否認したのです。
イエスの弟子として失格してしまった事に気づかせたのが鶏の鳴き声でした。
主イエスは振り向いてペテロを見つめられました。
そのイエスの愛の目差しに接し、ペテロは激しく泣いて罪を悔い改めたのです。