栗原 延元牧師 |
降誕の賛美歌に「神の御子は今宵しも、ベツレヘムに生まれたもう」の一節がありますが、
イエスは何歳頃に自分が神の子であるとの認識を持つようになったのでしょう。
「オギャー」と産声を上げた時に、まさか自分は神だと思い始めたのではないでしょう。
「人となりたる活ける神なれ」と歌われるように(賛121番4節)、
イエスは人としての成長の過程を歩んだはずです。
ルカ福音書は、このような問いに光を与えています。
イエスが12歳の時、明確に神の子であると認識していたことが書かれています。
その時は過越祭りの時であり、その場所はエルサレムの神殿の中でした。
そのエピソードが2章41~51節に載っています。
詳しくはその箇所をお読み下さい。
要点を述べますと、祭りの人ごみの中で迷子になったイエスをようやくの事で捜した両親に
「どうしてわたしを捜すのですか。
わたしが必ず自分の父の家にいることをご存じなかったのですか」
と返答するのです。自分の父とは、父なる神を指します。
ですから、イエスは12歳の年には神の子としての認識を得ていました。
そして両親に仕えたのです。ここにイエスの謙卑さが表されているのです。
この謙卑さ故に人はイエスの神性を理解できないのでしょう。