栗原 延元牧師 |
イエスは生まれて間もなく(40日後)、両親によってエルサレムの神殿に宮詣でをします。
この折に2人の老人と不思議な出会いをします。
老人の一人はシメオンといい、正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められるのを
待ち望んでおり、主のキリスト(救い主)を見るまでは決して死なないと聖霊のお告げを
受けていたのです。
心の中に、救い主にこの地上でお会いできると確かな希望を抱いていました。
シメオンは宮で幼子イエスを連れて来たヨセフとマリヤに出会い、幼子イエスを腕に抱き、
神をほめたたえる詩を述べます。
<主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です>(ルカ2:29~32)
まことに幼子イエスは、啓示の光なのです。
啓示とは今まで覆いで隠されていたものが、その覆いを取り除かれて明らかになることです。
イエスが啓示の光であるとは、イエスが神であり、イエスにおいて人は神に出会うのです。
まさにイエスは神殿そのものなのです。