牧師コラム 「らしんばん」 2015年7月5日

IMG_8506  栗原 延元牧師

今日の説教題を「しるしを求める石の心」としました。
石は固いものです。
固い心は、自分の誤りを認めようとはしません。
あくまでも自分の正しさを主張します。

パリサイ人たちは誇りを持っていました。「神を知っている」と。
その誇りが凝り固まって、イエスに天からのしるし-神の子キリストである-
を求めたのでしょう。

しるしとは証拠を表す目に見える印です。
水戸黄門が葵の印籠を手に持って「天下の副将軍」である事を現すように、
イエスに神の子キリストである「しるし」をパリサイ人たちは求めたのです。

しかし、イエスは
<ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません>(マタイ16:4)
と言われます。

ヨナのしるしとは、イエスの十字架の死と3日後の復活の出来事です。
このことにユダヤ人はつまずき、異邦人には愚かに思えます。
有史以来人類は神の存在と、その愛とを捜し求めて来たのです。
神がおられるなら神を見せてもらいたい。
神の愛が確かならば、その愛のしるしを見せてもらいたいと。

聖書は証言するのです。
イエス・キリストこそがまことの神であり、
イエスの十字架の死と復活に神の愛が現されたのです。