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人の生きる目的は「神の栄光」のためですと
ウェストミンスター信仰告白は宣言しています。
しかし、神の栄光のために生きよと言われても、
何かピンと来なかったのが私の学生時代でありました。
創造主にして至高至聖なる神の存在が私の日々の歩みから
遠く離れたもののように見えたのでした。
今日の箇所には、イエスと海辺の町の女との会話が
録されています。
一読すると、救いを求めてやって来た女を、
イエスは冷たく突き放すように見えます。
何しろイエスは、ギリシャ人の女に
「私はイスラエル人のために働いているのだから」と
言っているのですから。
この女は、そのようなイエスの言葉をソフトに受け入れます。
「主よ。そのとおりです」(7章28節)。
ここにこの女の成熟さが現れているのです。
自分を拒んでいるように思える人の中に愛を認めることが
できるのですから。
愛は人に余裕を与えます。
ですから、イエスの言葉(7章27節)に
「でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずを
いただきます」と答えたのです。
この女の言葉は、イエスに<あなたの信仰は立派です>と言わせました。
神の御子がこの女を称賛したのです。