牧師コラム 「らしんばん」2014年11月16日

IMG_8506  栗原 延元牧師

「マルコの福音書」は、弟子マルコが書いた
イエス様の「教え」と「行い」の書物です。
この書物を書かせた動機は、イエス様の教えと行いに対する「驚き」です。
この驚きはマルコだけではなく、イエス様に接した人々が抱いたものでした。

イエス様がガリラヤ湖畔カペナウムの町の会堂に入って教え始められた時に、
人々は驚いたのです。
それは、律法学者たちのようではなく「権威ある者」のように
教えられたからです。(マルコ1:22)

律法学者は、旧約聖書の律法に様々な解釈を施して
ユダヤ人の行為と行動を縛っていました。
しかしイエス様の教えは、それらのタブーから人間を解放したのです。

旧約律法のタブーから解放したからと言って、律法を廃棄したのではありません。
そうではなく、イエス様ご自身が語っておられるように
律法を私たちのうちに成就するために来られたのです。

権威ある者のように教えられたとは、イエス様の教えが聞く者の心の中に響き、
イエス様のお言葉に聞き従いたいとの思いが起こされてきたという事のようです。

すべての権威はイエス様にあるのですから。