牧師 高橋勝義 |
ヤコブは神様が戻りなさいと言った場所であるベテルではなく、その手前のシェケムにとどまり、その土地を買いました。そこからヤコブの家族とその地の人々との交流が深まり、娘ディナが、ハモルの子シェケムに辱められるという悲惨な出来事が起きてしまったのです。
ディナを慕い「どうか、あの人を私の妻に下さい」と懇願するシェケムに、激しく憤るヤコブの息子たちは、シェケムとその父をだまそうと考え、神の民のしるしである割礼を受けなければ、私たちの妹を嫁がせることはできないと告げます(創世記34:12,13)。ハモルと息子シェケムは、この提案に同意し、さらに町の人々を説得し、町の男たちはみな割礼を受けたのです。ところが、男たちの傷が痛む三日目、ディナの兄シメオンとレビは剣を取ってその町を襲い、すべての男たちを殺し、その町を略奪してしまいます(創世記34:25~29)。
割礼は神がアブラハムと結んだ契約のしるし(創世記17:4~10)であり、イスラエル民族への神の民のしるしです。それをヤコブの息子たちは復讐の手段にしてしまったのです。
ヤコブは、ハモルの提案や息子たちが割礼を持ち出したことに対して、何も言っていません。恐らく、一族が根絶やしにされることを恐れたからでしょう。(創世記34:30)しかし、このあいまいな態度が、“神の聖さ”をないがしろにしてしまったのです。
聖書は「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖だからである。(レビ記20:26)」と教えています。ですから「自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださる(Ⅰヨハネ1:9)」この約束を信じ、“神の聖さ”を汚す罪をそのままにせずに歩み続けましょう。