牧師コラム 『心のゆるみ』 2021年3月28日

牧師 高橋勝義

兄エサウと和解したヤコブは兄のいるセイルへは行かず、スコテへ移動し、自分のための家を建て、家畜小屋を作ります。さらに彼はそこからカナンの地にあるシェケムの町に無事たどり着き、その町の手前で宿営し、天幕を張った野の一画を、シェケムの父ハモルの息子たちの手から「百ケシタ」で買い取ったのです(創世記33:19)。

アブラハムは、「あなたの子孫にこの地を与える(創世記12:7)」との神の約束を堅く信じて、妻を埋葬するための墓以外、土地を買い求めてはいません。イサクも同じでした。

長年の寄留生活と心の重荷(兄との和解)からの解放がヤコブの心のゆるみとなり、「あなたが生まれた、あなたの父たちの国に帰りなさい(創世記31:3)」と言われた神の命令に従わず、この世の安定を求める思いから土地を買い求めることとなったのです。

この地に定住したヤコブの家族や子どもたちは、当然シェケムの町の人々と行き来することとなり、このことが、後に大事件を引き起こすことになりました。ある日、若く無防備な娘のディナは、その土地の娘たちを訪ねようと出かけて行き、その土地の族長であるヒビ人ハモルの子シェケムに捕らえられ、辱められたのです(創世記34:2)。ディナを慕うシェケムは、「どんなに高い花嫁料や贈り物であっても、おっしゃる通りにしますから、どうか、あの人を私の妻に下さい」と懇願するのです(創世記34:12)。

私たちも日々イエス様に照準を合わせていないと、信仰の歩みから外れてしまいます。「愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」(Ⅰペテロ2:11)