牧師コラム 『慰め、そして希望』 2020年2月23日

牧師 高橋勝義

 初めの人アダムの子孫レメクは、自分に生まれてきた男の子を“ノア”と名づけ、「この子は、【主】がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう。(創世記5:29)」と語りました。

 なぜ、大地はのろわれたのか。それは、アダムの長男カインが、弟アベルを野に連れて行き、殺してしまったからです。しかし、それはアダムとエバが、食べてはならないと命じられていた神の命令を破り、罪が人間の中に入ってきたからです。この時、神はアダムに「顔に汗を流して糧を得ることになる(創世記3:19)」と言われました。

 人々は、神に従わない“罪”がもたらす苦しみとその重さを知り、うめき苦しんでいたのです。レメクは、息子ノアにこの地に慰めを与える人になって欲しい、と期待したのでしょう。事実、地は暴虐で満ちていたにもかかわらず、ノアは「正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であり、神とともに歩んだ(創世記6:9)」のです。
 ですから、神はこれからなさろうとしている計画をノアに打ち明け、神のご計画のために彼を用いたのです。そして、彼はのちの人々の慰めとなり、希望となったのです。

 「あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く(申命記28:2)」と約束されている通りです。
 あなたも周りの状況に影響されず、神とともに歩むならば、ノアのように神はあなたを用いて、人々に慰めと希望を与えるのです。