牧師コラム 『和解と分裂』 2018年8月12日

 牧師 高橋勝義     

 私たちは、私たち人間を造られた神から離れ、背を向け、歩んできました。
 つまり親に逆らい、そこから出てきてしまい、自分の力で頑張っているのです。
 そこで、神はご自分との和解のために、神に逆らうすべての罪を、私たちに代わって、イエス・キリストに負わせ、十字架の上で死をもって処罰されたのです。

 イエス・キリストを信じるということは、私の罪のために死なれたことを認め、神に「ごめんなさい」と謝ることです。すると、神と私たちの間にあるわだかまり()のすべてが消え、神との和解が成立、平和が戻るのです。
 ところが、イエス・キリストは、『あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思っていますか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ分裂です。(ルカの福音書1251)』と語っています。

 イエス・キリストを救い主と信じるということは、神の力に頼って生きる生き方に方向転換した人、つまり、新しい生き方に変えられた人のことです。
しかし、信じない人は、自分の力で頑張る生き方のままです。
イエス・キリストは、この二つの生き方を分裂と表現したのです。

 この分裂は、争いや憎しみ、恨みなどによって生じたものではなく、信じた者の新しい生き方がよく分からないところから来る偏見なのです。
 イエスを信じる者が置かれる状況を、前もって語ることによって、まことの神に従って生きる覚悟をうながし、また私たちを愛しておられる神を人々に知らせなさいと語っているのです。