牧師コラム 『まことの光』 2019年12月22日

牧師 高橋勝義

人生100年時代と言われるようになり、テレビでは健康長寿番組が増えました。
ところで長生きするには、からだの健康はもちろんのこと、心の健康も重要です。
心の健康に必要なのは、ストレスのない日々を過ごすことのようですが、どんなにからだや心の健康に気を付けたとしても「」が解決されるわけではありません。

聖書は、「この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった(ヨハネ1:12)」と語ります。

私たちが神の子どもになると、私たちに何が起こるのでしょうか?

聖書は「の報酬はです。しかし神の賜物(プレゼント)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)」と語っています。
人間は、生けるまことの神によって造られたにもかかわらず、この方から離れ、自由奔放に生きる道を選びました。
これが、「」であり、はこののゆえに入り込んできたのです。
神の愛はこのを解決するために、イエス・キリストをこの世に遣わし、人間が受けるべきの刑罰をキリストに負わせ、十字架の上で処罰されたのです。

イエス・キリストを信じるとは、キリストの十字架は自分ののためであると認め告白することです。その時、神の子どもとなる特権が与えられ、さらに“永遠のいのち”が与えられて、「」から解放されるのです。

まことの光としてこの世に来られたイエス・キリストの誕生を心から祝うのがクリスマスです。今、イエス・キリストはあなたの心を照らしています。
このお方を心にお迎えし、神の子どもとなる新しい歩みを始めましょう。

牧師コラム 『神の子ども』 2019年10月6日

牧師 高橋勝義

人には誰にでも「親」がいます。たとえ、好き嫌いがあっても「親」であることに変わりはありません。子どもは、その「親」から財産・家柄などを、また性格・容姿なども受け継ぎます。残念ながら、そのどちらも、子どもには選ぶことが出来ません。

ヨハネは、キリストを信じたすべての者に向かって「愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。(Ⅰヨハネ3:2)」と語っています。
神の子どもとされた私たちは、親である「神」から、何を受け継ぐのでしょうか…。

第一に、本物の“愛”を知り、その“愛”を受け継ぎました。
「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。(Ⅰヨハネ3:16)」とある通りです。

第二に、“信仰によって生きる歩み”を受け継ぎました。
「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです(ガラテヤ3:26)」とあるように、良い行いをすることでから救われるのではなく、キリストが自分ののために死んでくださったことを信じる信仰によって救われたのです。

第三に、“御霊(聖霊)に導かれる歩み”を受け継ぎました。
キリストを信じる前の自分の力に頼る生き方から、キリストを信じた時に心に来て下さった御霊によって、あなたは、神を信頼して生きる生き方に変えられたのです。「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです(ローマ8:14)」とある通りです。

牧師コラム 『モーセ物語~その2』 2019年9月29日

牧師 栗原延元

イスラエルの民族の父祖は「アブラハム」ですが、建国の父は「モーセ」です。イスラエルの国の月の始まり、年の始まりに、過越の祭りが行われます。このときに各家庭で行うべき事とその行事の意味することが、出エジプト記12章に詳述されています。大変重要な章句なので長くなりますが下に引用します。
「その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしはである。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれをへの祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。」(出エジプト記12:12~14)

神がエジプトの地を打たれたとき、イスラエルの家々には滅びのわざわいが及びませんでした。神のこの審きによって、イスラエルの民はエジプトから出て行くことが出来たのです。奴隷状態から解放されたのです。このことは罪から解放するイエスの救い主のみわざにつながるのです。

牧師コラム 『モーセ物語~その1』 2019年6月30日

牧師 栗原延元

聖書巻頭の書である「創世記」に続いて、「出エジプト」記に入ります。
この書は、イスラエルの民が、エジプトから出て、神の約束の地カナンを目ざす旅を記しています。
イスラエルの民を、エジプトから救出した指導者が「モーセ」です。今日は、出エジプト記3章を学びます。この章には、モーセが神の召命を受ける場面が詳しく記されています。神とモーセの出合いの様子は、実に臨場感にあふれ、読む者をして、数千年の時空を超えて、私たちをその場へと誘います。その中で神は、「我は有りて在る者なり」(文語訳)と宣言します。
人間が存在するためには、多くの条件が揃っていなければなりません。水も食物も空気もなければ存在することはできません。神は無条件に存在するお方なのです。モーセが詠んだ詩があります。その詩の冒頭に〈主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まいです。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことにとこしえからとこしえまであなたは神です〉(詩90:1~2)。まことに神は「有りて在る者」なのです。この神を信じていくことが、人生の揺るぎない土台となるのです。

牧師コラム 『ヨセフ物語(前半)』 2019年2月24日

牧師 栗原延元

 前回(1/27)は、「陽はまた昇る」と題して、ヤコブの人生を転回させる出来事を学びました (創世記32章のヤボクの渡し) 。その後でヤコブは生まれ変わり、「イスラエル」と名乗るのです。この名がその後の神の選民となります。
 「アブラハム、イザク、ヤコブ」とイスラエルの族長の物語が、民族へ拡大する契機となったのがヨセフ物語です。ヨセフの生涯を貫く精神は「仕える」という事です。彼はまず、家族に仕えます。この中で、兄たちの反感を買って、エジプトに売られ、パロの廷臣、その侍従長ポティファルの奴隷として仕えますが、ぬれぎぬを着せられ、監獄に監禁され、囚人に仕えます。その後ヨセフは解放され、パロに仕え、エジプトの国難を救うようになり、最後は、自分を売った者たちに仕え、彼らの生命を救うことになるのです。
 ヨセフは波瀾万丈の生涯を送ります。その生涯を父ヤコブは《彼の弓はたるむことなく》(創世記49:23)と語っています。「弓はたるむことなく」とは、弓は張っているが弦がゆるんでいたことがないの意味です。ヨセフは、どんな環境の中に置かれても、そこで神と人とに仕える道を選んだのでしょう。ヨセフ物語は実に爽やかです。その爽やかさを今日の礼拝で感じていただけますように。

牧師コラム 『救い主のしるし~飼葉おけ』 2018年12月23日

牧師 栗原延元

 今日の礼拝は、救い主イエス・キリストの誕生(降誕)を共にお祝いし、喜ぶときです。今年は西暦2018年です。これはイエス・キリストがお生まれになった年から数えています。西暦とは西洋のこよみですが、今や全世界で通用するこよみです。イエスの誕生によって、それ以前をB.C(Before Christ)、それ以降をA.D(Anno Domini)と歴史を2分しています。
 少しばかり、くどい説明になりましたが、もう少しご辛抱してお読み下さい。何故に、イエスが救い主(キリスト)なのかといいますと、「飼葉おけ」がそのしるしだからです。しるしとは、証拠ということです。
 イエス・キリストが救い主・キリストである正真正銘のしるしが、くどいようですが「飼葉おけ」なのです。
 クリスマスを詳しく伝えている「ルカの福音書」2章には三度くり返し「飼葉おけに寝ておられる」みどりごこそが救い主であると言います。
 まことの神は、最も低い姿をまとってこの世に来られたことを意味しています。〈心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人のものだからです。〉と山上の教えを説いたお方にふさわしいお生まれなのでしょう。